「歩きながら考える」step9 [本・雑誌あれこれ]
記事中の表現を借りれば、「道中」のことを考えるリトルプレスの最新号が届いた。今号も読みごたえのある内容である。中から三編紹介したい。
「歩くこと、書くこと、思い出すこと(滝口悠生)」
芥川賞作家による、散歩の記録を書くワークショップの話である。
話は日記から始まる。日記は、その日に起きなかったことは書きにくい。事実の報告・記録を要求される。だが、「ひとの一日のほとんどは、その日起こらなかったことや、目の前にいない人のことを考えたり思い出している時間」というのは盲点だった。
そして、ワークショップで書かれたものを読んでいると、「小説には決まった形や書き方などないはずなのに、これは小説には書けない、という部分がたくさんある」という。
私個人は賞を追いかけないタイプだが、この作家に興味が出てきた。
「物語をたずさえて、東へ、西へ(柴田元幸、熊谷充紘)」
翻訳家と、朗読イベントの運営者の対談。
柴田元幸から、ジミ・ヘンドリックスやグレン・グールドなど音楽の例えがたくさん出てくるのに驚いた。店にも著作が何点かあるが、それを読むとそのあたりの趣味がわかるだろうか。
インタビュアーも、朗読イベントについて「ベテランのソロミュージシャンが大人になってバンドをやってみたらすごく面白かった!」と例えているのだが、バンド系の音楽を聞いてきた身にはよくわかる表現である。全体として、このインタビュアーは質問がうまいような気がする。
朗読はファシズムだ、という表現もユニークだ。複数の聴衆が朗読者のペースに合わせなければならないことを言っているのだが、それが嫌いだという人がいることは理解したうえで、たまには人の枠のなかにはいるのもいいのではないか、と言う。インタビュアーは、物語を一緒に歩く、と言い換える。
熊谷充紘の移動についての感覚も面白い。「夜行バスに乗っている時間のぶん、飛行機に乗っていたら海外に行けちゃう」から海外は遠く感じない。この移動には自由がある。
最後に、柴田元幸が「熱いうちに鉄を打ちたい」と言っている。本と出合える機会がなくなっているが、朗読に関するイベントがその機会になれば、という考えだ。書店主としてはその辺をもう少し、と思ったが、それも著作を当たってみるべきだろう。
「それから、それから?(中山英之)」
建築家へのインタビュー。
自分を外から見る、という例えで、電車を挙げている。カーブを走っている時に外を見ると自分が乗っている電車が見える。なるほど、と思った。あのときに感じる不思議な感覚を説明してもらえたような気がした。
断捨離に関する意見も面白い。建物によって世界を二つに分けて、ものを内から外に動かしているだけ。外だって無限ではないのに、すっきりした、と感じている様子は確かに滑稽であるのかもしれない。
ほかにも「建築は指示書(しかも相当うるさい)」「建築物は原稿用紙。物語をつむぐのは利用者」「自分が理解できない知性を『ポエム』とくくってしまうのは失礼」など、興味深い表現がいくつも出てくるのだが、紹介し出すときりがないので我慢する。
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